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木漏れ日の隙間から。日々の出来事をジャンル等問わず自由気ままに綴ります。 不適切な書き込みはご勘弁を!


by aki23star

ボーダフォン

初めに。
今はもう過去になりますが。
ソフトバンク以前。
懐かしい、ボーダフォン。
皆さんも覚えておりますよね。

あのボーダフォンが F-1 のスポンサーだったあの頃。
自分はかなり以前。
それこそ、JPS の時代以前から、 F-! に興味を持っておりました。


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皆さん知ってますか?
あのアイルトン・セナ。

日本でF1の全戦テレビ中継が始まったのは1987年だったので、アイルトン・セナとJPSロータスがタッグを組んでいたことを知らない人も多い。しかしJPSロータス時代のセナは、32戦中15回もポールを獲る活躍を見せていたことを。


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上はマリオ・アンドレッティ。

このカラーとマシンを見て懐かしい想い出が甦る方は多いのではないでしょうか?

このマシンは、アメリカ人ドライバーであるマリオ・アンドレッティが1976年、日本初開催となるF1GPで記念すべき勝利を納めたJPSカラーのロータス77ですね。




話は戻りますが。
下記はコピーさせて頂きますね。


マクラーレンは、ボーダフォンとのタイトルスポンサー契約が2013年末で終了することを発表。今シーズンの最終戦後に新しいタイトルスポンサーを発表するとした。

ボーダフォンは、2007年からマクラーレンのタイトルスポンサーを務めてきた。

このニュースは、マクラーレンがテルメックスをタイトルスポンサーに迎えるとの憶測を引き起こしている。

マクラーレンは「ボーダフォンは、マクラーレンとのタイトルパートナーシップに課した非常に野心的な目標の全てを上回ったことで、F1スポンサーから離れて同社のビジネス・プライオリティに集中することを決定しました」とリリースで述べた。

またマクラーレンは、今後について「現在のボーダフォンとのタイトルパートナーシップが続く間は、マクラーレンは新しいタイトルパートナーを発表することはありませんが、シーズン最終戦後の2013年12月2日にエキサイティングな発表をします」と述べた。




そう。
最終的に、ボーダフォンは撤退しました。



今回は貴重なスポンサーだった頃に発売された貴重な逸品なんですよね。




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歴代の F-! ドライバー。
きっと皆さんは、アイルトン・セナの名を挙げる方が多いことでしょうね。
次は、アラン・プロストかな?


でもね。自分は違いますね。
自分が1番好きだったのは。

ニキ・ラウダでした。



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下記はコピーです。



ラウダを語る上で避けて通れない、ニュルブルクリンクでの大事故が起きたのは1976年。大やけどと有毒ガスを吸い込んだことによる肺の損傷で死の寸前まで追いやられながら奇跡的に生還。2レースを欠場したのみで驚異のカムバックを果たしたばかりか、4位入賞という結果までもたらしたエピソードはあまりにも有名だが、彼のレーシングドライバーとしてのキャリア、いや人生そのものが、劇的な再起の連続だった。



アンドレアス・ニコラウス・"ニキ"・ラウダ: Andreas Nikolaus "Niki" Lauda1949年2月22日 - 2019年5月20日)は、オーストリア出身のレーシングドライバー

1975年1977年1984年F1チャンピオン。「スーパーラット」「不死鳥」の異名があり、ミスが極めて少ない走りから「コンピューター」の渾名を持つ。実業家の一面もあり、引退後はF1チームの役職を歴任した。





中学生の頃。
ニキ・ラウダが大好きでした
エピソードに憧れた自分でしたね。


セナもプロストも大好きな自分ですが
他にも、ジャッキー・スチュワート。ネルソン・ピケ。
凄いなと思いましたね












by aki23star | 2020-03-13 23:38 | 興味あるもの